全長では、自衛隊のC-2輸送機とほぼ同サイズ、翼幅はC-2より大きいが、4発機という事で大きく見えるのが面白い。このC-141Aの4発のダーボファンエンジンは燃費が良く、航続距離が稼げるのと、25度の緩い後退角を持つ長い主翼のお蔭で2000m級の比較的短い滑走路でも充分離着陸が可能な性能だったので、東南アジアを始め海外展開するアメリカ空軍の要求を充分に満たした性能だった。積載量がA型の場合30トンに満たなかった為、より大きな貨物はC-5Aに任せる事になるが、C-130と共に戦術輸送の主力を担った機体だった。後のB型への改造の時のそうであったが、生産は、ジョージア州にあるロッキード・マリエッタ工場で一貫生産された。また、一つの工場で設計から生産までフルレートで行われた最初の航空機であるとされ、記録的早さで製造がおこなわれたと言われる。初飛行はわざわざライト兄弟の初飛行60周年に合わせて行ったと言うから、当時革新的だったこの4発ジェット輸送機に対する期待の高さが伺える。(2022年11月 記)
Insignia of 60th MAW
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↑ 横田基地R/W36に着陸するC-141A/66-0148.この機体は、後にB型そしてC型に改造され2005年迄ライトパターソン基地の445th AWで運用された。
Wings
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↑ 嘉手納基地に着陸するC-141A/66-0159。66-0158/66-0159共にB型に改修されマッコード空軍基地62nd AWで使われたが、66-0159は、1999年には用廃となっている。
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↑ 1978年嘉手納基地に着陸するC-141A/66-0150。この機体は後にB型に改造されたが、1989年2月20日フロリダ州ハーバート・フィールドで激しい雷雨の視界の悪い中、着陸中にクラッシュしてマークチェンバー機長を含む7名の乗員の命が失われた。
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